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2010-08-20

昔の人はコンテンツ

13:00 | 昔の人はコンテンツ - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに を含むブックマーク はてなブックマーク - 昔の人はコンテンツ - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに 昔の人はコンテンツ - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに のブックマークコメント

現在のお年寄りが体験した、昔の辛い体験って、コンテンツが出揃ってるわけですよ。

典型的なストーリーっていうのがあって、私ら普段そういうの見聞きしてるから、類型的に「ああ大変だったんですねー」って刷り込まれてる。

たぶん個別に検証してったら個別にぜんぜん違う体験してんだけど、そこはコンテンツの功罪、一般化されちゃうかわりに、わかりやすいし説明しやすい。

本人も「そうそう、だいたいそんなふう」みたいにすっかり忘れてたりするので、まあそこはそれ。

ともあれ、いま社会を構成してる人々は、老いも若きも、昔話とともに成長してきたので、昔の話はよく知ってる。

ひるがえって、現代の若い世代がどのように辛いかっていうコンテンツは、昔話に比べて、絶対数が少ない。

そもそも年寄りは、そういう現代人の特有の悩みを扱ったコンテンツなんて、知らないでいても誰かから馬鹿にされるわけでもない。

語彙もちょっとずつ変わっちゃってたりするから、コンテンツを摂取したところで理解がズレることがあるかもしれない。

昔の人が「俺らのほうが辛かった」って言ったらもう若い世代は勝てねえよなって思った。

記憶はつねに後ろを向いてるから、コンテンツは昔話を題材にせざるを得ず、現代ならではのできごとって、わりと語られていない。人々はつねに昔話を吸収して大きくなるのだ。

(そう考えると意識的に時間の一方通行性を切り離したもっともらしい未来話としてのSFってもっと読まれるべきなのかなとか)

年配層向けのコンテンツに若者の苦労を混入し、若年層向けのコンテンツに尊敬できる老人を配置するなど、工夫を凝らすのが相互理解の中央突破のような気がしているところです。

コンテンツ化

12:45 | コンテンツ化 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに を含むブックマーク はてなブックマーク - コンテンツ化 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに コンテンツ化 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに のブックマークコメント

日本最大のコンテンツといえば八月の終戦あたりの特番とか。

お祭り好き。

過去にあった史実、神話なんかを再現したりしますよね、お祭りって。

だからわかんなくもないんですが。

敗戦をコンテンツにして勝手にしんみりしてる人々がどの口で「人間をコンテンツにするなー」とか言うのか。

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2010-06-11

訃報ハローワールド状態

03:30 | 訃報ハローワールド状態 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに を含むブックマーク はてなブックマーク - 訃報ハローワールド状態 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに 訃報ハローワールド状態 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに のブックマークコメント

たとえばですよたとえば。

ミュージシャンが他界して、その人の曲を聞くと涙が出ちゃうっていう状態そのものは、否定できないですよ。そういう生理なので。

そうやって泣くのはど真ん中カタルシス、なんらかのエモい作用を経て残された人は日常に戻っていくわけですよね。

おかしいとかおかしくないとかじゃなくて少なくとも、不自然なことではない。

この曲を聞いたら泣いちゃうよー泣いちゃうよー耳に入ったーハイ泣いたー。

そうやって生きてる人間から死んでる人間に遷移させていく。

死者のことを思って泣いてるときは、死者をコンテンツとして扱ってる。

コンテンツですよコンテンツ。生きてる人間がわりかしメディア寄り的状態であったのものを、死んでる人間として完全なコンテンツにする。

メディア性を失って、完全なコンテンツとして新しい生を受ける。虎が皮を残したり人が名を残したりする現象。

よくもわるくもそういうもんで、その是非は問わないですよ。

ミュージシャンなら死後、追悼盤が出たりする。死者をコンテンツとした商売であざとくて汚いかもしんないけど、生きてる人が食っていくためならまあそんなこと言ってられない。

また、そうしないと生死の境界がわかんなくなって日常生活が困難な、常識的な意味で残念な人になっちゃう。

追悼にはそういう一面があると思ったわけです。

感受性の豊かな人がそうやって生理として泣いてるくせにですね、その一方で「人間をコンテンツとして扱うなんてひどい!」とか言ってたりするとですね、なんかこう括約筋がゆるんで、ゆるふわ糞便がこんにちは状態になるんですよね。

あなた死者のために泣いていたじゃないですか。まあ死者のためじゃなくて自分自身の生理のためなんだけどさ、そこは慣用的に死者のためって言いますよね、あんた泣いてたじゃないですか、なんでその涙を生者のために流せないんですか。

死者のために泣いたってぜんぜん優しくなんかないですよそんなの。

話がずれた。

で、なにが言いたかったかっていうと、死んだ人のことを思ってエモくなるのは必要だし、しかたないこと。故人を死者として見送るときの標準的な作法。

だけど、だからこそ、自分がエモくなるとき、死者をコンテンツ扱いしてるってことを忘れたくないし、カタルシスの快感こそが目的だなんて勘違いしたくない。

見送るときにはエモくなることも必要だけど、エモく盛り上がったときに、エモーショナルオナニーのおかずとして故人を利用していることは忘れたくない(誰かが死んで弔意を示すってのもオナニーなのであんまりウェブでやんないほうがお上品じゃないのー、とも思う)。

そうやってエモエモしく盛り上がる予感に対して、わくわくしてしまうのはわからないでもないけど、そういう人々を相手に、上記のようなことを説明するような元気はこっちにないし、エモくなれる期待に胸をふくらませている人々と同席するのは不愉快なので、ぼくはおうちで寝ていたほうがいい。

こういうことを言うと、きっと「死者はそうやって見送ってもらえて喜んでる」「彼はそう望んでいたはずだ」みたいな異見が提起されるような気がするんだけど(死者を擬人化するのみならず勝手にその心理をエスパー的に予想するなっていうのとはまた別に)、残された生者がオナニーしつづけていていいわけねえだろう、っていう。日常に戻るのが目的なんであって快楽は目的じゃない。

とはいっても、否定されても反論できない。反論する元気もない。どうぞ上から目線で「かわいそうな思考の人だ……」とか思っててください。

あと、べつに死者で快感を得る人がいたって、それは自由なので。

明日も誰かが死んで気持ちよく泣けるといいですねー、としか。

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2010-06-02

テレビっ子以外の層と地上波民放

23:54 | テレビっ子以外の層と地上波民放 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに を含むブックマーク はてなブックマーク - テレビっ子以外の層と地上波民放 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに テレビっ子以外の層と地上波民放 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに のブックマークコメント

プライムタイムのニュース枠よりニコニコ生放送のほうが詳しいことやってるので、テレビっていうのは見出し、トピックなのかも。

見出しの羅列として見てもらって、そっから書籍なりウェブサイトなり実店舗なり誘導できればいい、その案内料を取るという…、とか思ったけど、そんなのウェブでいいじゃんという話に。

いまのテレビっ子(団塊とその下)以外にテレビをどう見てもらうんだろう。

ニッチにするのか。もう衛星放送とか多チャンネルんとこはそうなっているんだけど、地上波は多チャンネル時代から仲間はずれにされてるんじゃないのかっていう。

テレビ東京は正しいのではないか。NHKもまあ公共放送なのでやることやればいいとして。その他。

メモ

23:20 | メモ - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに を含むブックマーク はてなブックマーク - メモ - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに メモ - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに のブックマークコメント

  1. 「専門家が言ってるから妥当であろう」っていう読者の受け取り方がまずあって
    • そのこと自体は、べつに間違ってないと思う
  2. ただ、そのためにメディアでは著名人のコメントをとりにいくっていうのが当たり前で無難で陳腐な方法になっていて
  3. のちのち本末転倒して、有名っぽい肩書きがあればそいつの妥当性の証明なんかは別に必要とされてなくっていて
  4. メディアの制作側のもつ誘導、アイキャッチできればいいや的な安易な考え方が発生して
    • そういう自省のない制作態度が信頼を失う原因のひとつになってる

そういう状況下でtwitterが果たす役割には

  • 発言者の履歴を参照することで、受け手自身が発言者の妥当性を確かめられる

っていうのがある。もう機能しなくなっていたものを外部に託すという意味では、必要とされているところだと思う。

かといって、twitterがあっても有名人システムへの直接的な打撃にはならない。


ミニブログの用途による有名人枠の流動性変化。

  • 触れ合う意味ではアメーバなう的な使い方、それは有名人の有名性を利用し、温存する方向
    • 小規模有名人への注目が持続するという点においてはミニブログのほうが既存のマスメディアよりフラット的
    • かつ、有名人枠の流動性は減少する?
  • 情報収集、バズ観測、傾向調査なんていう面においては、有名人の有名性は前者ほど重視されない
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2010-05-21

有名人システム以降の構造と問題点

06:33 | 有名人システム以降の構造と問題点 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに を含むブックマーク はてなブックマーク - 有名人システム以降の構造と問題点 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに 有名人システム以降の構造と問題点 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに のブックマークコメント

「有名人システム」について書いた記事

有名人システムって呼んでるのは何かというと、有名人を起用することでマスへの訴求力が発生して、そんでその起用がまた次の起用を生んで、システムが維持されるよねー的な現象のことです。

  • 維持されるってことは、維持されるようにパワーが働いてる
  • そのパワーは、えーと国家警察権力じゃないオルタナティブな装置(以下「ヤ」)だったりする

「ヤ」が介入する原因はともかくとして、「ヤ」の権力を前提として成り立ってるシステムなわけです。

じゃあインターネットの時代になって既存のアレがアレしていく過程において、「ヤ」が担っていた機能をどうするか、っていう話が出てくるんでしょうか。

「ヤ」は有名人システムを、まあ保守とかしてきたんだと思うんだけど、その守ってきたものっていうのは今後変容していくであろう仕組みの中で、どうなるのか。

たとえば、有名人システムの構成員の安全とか、裏切りに対する保険とか、システム全体の点検とか、そのあたりなのか。

いらないっちゃいらないのかもしれないけど、でも人間の集団が作る構造ですから、そういうのを何とか安定させようっていう働き、欲求は、よくもわるくも、きっと出てくる。人は安定したい。

そんときに、たとえ既存の「ヤ」が新しい仕組みにそのまま対応しなくとも、なんか「ヤ」的な代替機構が求められちゃう。似たようなことになっちゃうんじゃないか、既得権者は移行したとしても構造が変わんないんじゃないか。

防止するためには、ほんとうに変革させるためには、どうしたらいいでしょう。

ひとつは、公的な権力を導入する。コスト的にどうかと思う。

もうひとつは、ルールによって、コードによって、システム内の法によって、流動性を保持しながら、いい感じに保守点検ができるようにしていく方法。

この後者の方法を模索していかなくちゃいけないなーと思いました。どう監視するかとか。

個人的にはこうするのがメリットだと感じるんだけど、まあ現在すでに偉い人にとっては銭っぽい意味で誰も得しないことになるので、どっから手をつけていいやらわかりません。

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2010-03-12

ウェブにいるときは肉体がない

02:44 | ウェブにいるときは肉体がない - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに を含むブックマーク はてなブックマーク - ウェブにいるときは肉体がない - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに ウェブにいるときは肉体がない - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに のブックマークコメント

ウェブにいるときの身体感覚。

たとえば携帯電話だったら、まだ「肉体の人間が利用する通信用ツール持ち運び用」って言い張ってそう確信して利用することもできると思うんですけど、

もっと没入したとき、

というか実際のところウェブにいるときは肉体から意識が離れている、

しかも利用者ごとに利用形態が異なっているので、みんなそれぞれ違った体を持っている、そう認識するのが自然、

腕が2本、顔がついてて、脚があって、とか、そんなはずはない、

ウェブにおいて移動する用途としての脚に相当するような、メタファとして脚になるようなものは、たぶんめったにない、

触手や探査針を器官として備えたやつだっているはずだ、

しかしまだ肉体を持った人間として利用している輩は多い、

肉体の人間として地位を持っている場合、Twitterのアカウントと肉体の人間を1対1対応させてなんの疑問も抱いてなかったりする、

だから挨拶なんかしちゃったりする、

挨拶なんていうのは肉体の人間が使って役に立つことが(経験上)知られているから用いられているだけで、ウェブの中で活動する、肉体の人間とはかけはなれた形状の存在、しかも異生物同士がコンタクトをとるときに、肉体の人間の「こんにちは」がどれほどのものであろうか。

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