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2007-10-06

人格というひとまとまりの構造は便宜上設定しているだけで幻想じゃないの?

17:25 | 人格というひとまとまりの構造は便宜上設定しているだけで幻想じゃないの? - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに を含むブックマーク はてなブックマーク - 人格というひとまとまりの構造は便宜上設定しているだけで幻想じゃないの? - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに 人格というひとまとまりの構造は便宜上設定しているだけで幻想じゃないの? - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに のブックマークコメント

リンク先の人のおじいさんが、下記のようなことをおっしゃっているのだけれども、このことについてちょっと考えてみたい。

  • そもそもブロガー単位で信頼したりしなかったりじゃなくて
    • 記事単位で判断すりゃいいんじゃねえの、という話もある
      • 人格邪魔だなあ
        • 人間に、はっきり人格と呼べるようなまとまりをもった構造なんて存在するのかな
        • 他人だけじゃないよ、自分にも、一貫した何かがあるなんて、それは幻想じゃないのかな、便宜上のものかもしれないよ
http://pretend.g.hatena.ne.jp/extramegane/20071006/1191654734

お母さんのほうの赤木博士は自分の側面を3種類に分類して相互に関連させたシステムを作りました。そのような感じで、厳密に言ったら、誰しもが相手ごとに対して異なる対応をしている。はず。

老眼年寄り相手には大きい文字で説明したほうがいいし、小学生相手には語彙を選んだほうがいい。その延長で、家族に見せる面、友人に見せる面、職場で見せる面は、いくら自分では同じだと思っていても、たぶん客観的にみたら、異なるものなのだと思う。

なぜなら、送り手と受け手に共通したバックグラウンドを意識して会話し、記述するから。バックグラウンドが共通の人に対してだけ同時送信が可能。日本語話者だから日本語で話そうとか、クラスメイト相手だから担任教諭を例えに出してもいいだろうとか。

ちょっと話が拡大するけれども、わたしたちを構成するそれぞれの面、つまり自分以外の人物から見た自分のプロフィール、横顔っていうのは、自分に所属するんじゃないんじゃないかとも思う。共通するバックグラウンドごと、たとえば家族、町、都市国家学校部活習い事会社、取引先、ブログ1、ブログ2などさまざまなレイヤーごとに、個人というのはバラバラに分かれているんじゃないかと思うのです。

そんなこんななので、場面によって、相手によって、時間によって、体調によって、人間は変化するのがもちろん当然だ。だからこそ、「いまこの現在この場所」以外の自分や、「いまこの現在この場所」以外の自分を、消し去るべきではないと思うんです。取り消し線を使って、改変内容を保存しておくことが、自分が反復学習するための自分の歴史だし、これが自分の歴史ですよつって他人に説明する内容だし、自分の未来のための貴重な財産なんだと思う。