2011-05-14
ネタマジ
今日におけるタグ「ネタ」の用法がまだわかんないんですが、まあわかりたくもないんですが、ちょっと思いついたことがあるのでメモします。
まず前提として、万人が思いついたこと発表できるインフラがあるっていう状況。
で、やろうと思えばスイーツ食べたよつって写真をアップロードすることもできるし、自分の政治的なアレをアレすることだって簡単にできる。
さてその状況で、「お前のスイーツ写真べつに見たくない」的なつっこみがあって、もしくはそれを想像し予期するという段階がある。
ここが境界線。
これより前は非ネタ的。
ここより先は、なんか味付けをすることになり、いわゆるネタ的。エチケットシートというか、想定される安易ないわゆる「ツッコミ」を回避する工夫がこらされている。
その工夫はたとえば何かをパロディにするとか、駄洒落にするとか、かけ言葉にするとか、そういった手法が「ネタ」という単語を想起させるに充分な歴史を持っているものだったがために、ネタという単語が選択されたのではないか?という仮説。会話調にするとか、なんかありますよねインターネッツの気持ち悪い歴史にはいろいろとそういう。
「ツッコミ」的視線を意識するがゆえの「ネタ」ということで、別に漫才でもないのに日常会話で「ツッコミ」って頻繁に使うような人が悪い、ということを考えています。
2011-01-26
読解力について
放浪息子のアニメの1回目を見ただけで、なんていうかそのー、マイノリティが受けるプレッシャーっていうのが主要な題材なんだなってわかんない、その読解力がやばいですよね。ホモセクシュアルを排除するような感想を述べたらどれだけの人の目にさらされるかが想像できてない。
知らないタレントがペニオク活用してるつって自分もやっちゃう人も読解力が足りてない。お前の財布は俺に預けろ。全額を円天にして返してやる。
国語の授業の読解問題は何なんだ。なんでもっと実用的なこと教えないのか。
粘着呼ばわりについて
ブログとかTwitterとかっていうのは記事を残しておくんだから誰かに参照されても一向にさしつかえないどころか、最新の記事、話題の記事以外にも目を通してもらえることはどっちかいったら光栄なわけですよね。
ログをさかのぼって読んだ人のことを粘着呼ばわりってどういうことなのかな。
消してないもんは読んでもいいはずですよね、消さないんだから。
読まれたくない人は最初からウェブなんかに文章を書くべきではないし、自動的に文字が消えて薄くなっていく砂浜のようなメディアを利用すべきだ。
それとも態度の問題なのかな。たとえば誰かのログをさかのぼって、否定的な態度を取らざるを得なくなったらそれは黙ってなきゃいけないのかな。
過去の記事や、まったく関わりのなかった人物の記述に対し、アクセスしやすくしよう、しやすくしようっていって、いろんなウェブサービスが便利になっていってるわけですよ。
お気をつけあそばせ。